探りあい


コン、コン―――。
部屋のなかにあの人がいることを確認する為に、控え目にノックをする。
どうぞ、という声が聞こえてくるのに安堵しながら、俺は遠慮がちに室内へと足を踏み入れた。

「こんばんは、猊下」
「ウェラー卿・・・」

猊下はまさか訪問者が俺だとは思っていなかったのか、驚いたように軽く目を見開く。しかしそれもすぐに、いつも通りの余裕の表情に戻った。
さっきまで読んでいたのか、膝の上に開いてあった本を閉じると、俺に向かってにっこりと笑いかけてくる。

「これは珍しいお客様だね。こんな時間になにか用かい?」

確かに、今は時間的にはかなり遅い。陛下やヴォルフラムなんかは、ぐっすりと眠っているだろう。
そんな時間に部屋を訪ねるのは非常識だと自覚はあったが、どうしても進む足を止めることが出来なかった。
もちろんそうなのだろうが、一応俺は猊下に訊ねてみる。

「迷惑でしたか?」
「迷惑・・・ねぇ」

すると猊下は悪戯を思いついた子供のように、にやっとしながら横目で俺のほうを見遣った。

「そんなことないけど、時間が時間じゃないか。だから、何かあるのかと思ってね」
「何か、とは?」
「そうだなー。たとえば・・・・・僕を誘いに来た、とかね?」

そう言って妖美に微笑みながら、俺の目を捉えて離さない。
この人が本気でそんなことを言うわけはないし、これが冗談であることも重々承知の上だ。だが俺はあえて、その嘘につきあうことにした。

「そうだと言ったら、どうしますか?」

口元に薄っすらと笑いを浮かべながら、ゆっくりと猊下に歩み寄って行く。
俺の歩く微かな音だけが、その空間を支配していた。
猊下は臆することなく、ただじっと俺の動向だけを見つめている。
室内がしんと静まり返ると、なんとも言えない異様な雰囲気が漂った。

「猊下・・・・・・」

俺はそっと、猊下の顔に近づいていく。あと数cmで、俺と猊下の唇が重なり合う。
その時だった。

「そういう・・・・」

猊下が何事かを呟き、俺は一瞬それに気をとられてしまい目の前に迫ってくるなにかへの反応が後れてしまう。
避けることも出来ず、それは小気味好い音を立てながら俺の顔にぶつかった。

「う゛っ・・・」
「冗談は嫌いなんだよねー、僕」

猊下はくすっと笑いながらどっしりと構えて俺を見据えると、片手で本をひらひらとさせる。
どうやら、凶器はあの本のようだ。
表面上笑顔を作りながら、上から目線で猊下を見下ろす。

「それはどうも、申し訳ありませんでした」
「・・・・・えらく不服そうだね?ウェラー卿」
「そんなことはありませんよ。猊下」

それまで持っていた本を無造作に机の上に置くと、猊下は小さく苦笑した。

「君もいい性格してるよね」
「それはどうも」

俺がさらっと言って退けると、一瞬僅かに顔を顰める。どうやら、俺の答えが御気に召さなかったようだ。
けれど、俺が猊下に与える影響なんてそんな一瞬なもので、それ以上はどう足掻こうともどうにもならない。分かってはいるが、一種の蟠りのようなものが心に残るのはなぜなのか。

「どうかしたの?」
「あっ、いえ・・・なんでもないですよ」

無意識のうちに物思いにふけってしまっていて、猊下の声でハッと我に返る。そのことに気付かれまいと必死に取り繕うが、たぶんこの人はごまかせないだろう。
猊下は不審そうな目をして俺のことを見たかと思うと、何を思ってかふっと表情を崩した。

「いつまでもそんなとこに立ってないで座ったら?僕に用があったんでしょ」
「えっ、ええ。まあ・・・」
「じゃ、どうぞ。そんな所に突っ立てられても迷惑だしさー」
「猊下、俺にケンカ売ってるんですか?」
「やだなー。そんなことある訳ないだろ」

愉しそうに笑う猊下を尻目に、この会話を打ち切る意味も込めて一言断ってから言われたとおりに椅子に腰掛ける。
これ以上、猊下にからかわれるのは御免だ。いや、俺は本当にからかわれているだけなのだろうか。

「それで、用ってなんなの?」

俺が椅子に座ったのを確認したあと、猊下が探るような目を向けてくる。

「少し、お聞きしたいことがあったので」
「聞きたいこと?」
「ええ、あの・・・陛下と猊下はあちらでもご学友なんですよね?」
「・・・・・それが?」
「本当に、それだけですか?」

自分でも、こんな質問馬鹿げてると思う。そう、らしくない。
それまで何事にも動じなかった猊下が目を丸くすると、堪え切れなくなったように吹き出した。

「ふっ・・・・あはははは。ウェラー卿ともあろう人が、そんなことを聞くためにわざわざ?」
「おかしいですか?」
「いや、別に。そんなに知りたいの?」
「そのために、来ましたから」

緊迫した空気が、辺りを包み込む。
風もないはずなのに、電灯が小さく音を立てながら揺れ動いていた。

「僕と渋谷は、魔王と賢者の関係である前に普通の友達であり親友。それ以上でも以下でもない。・・・・・君の望んでいた答はこうだろう?」

すっと、猊下の温度が下がる。あからさまに向けられる敵意。

「そんなに渋谷が好き?」
「・・・・・・」

俺はその質問には答えなかった。答えられないというよりは、答えるべきではないのだ。
猊下の視線をひしひしと受けながら、俺は椅子から立ち上がった。

「お話、ありがとうございました。最後にもうひとつだけいいですか?」
「なに?」
「まだ人の形を成していなかった頃、俺と会ったことを、猊下は覚えているんですか?」
「・・・・・・・・覚えているよ。渋谷と、初めて会った時のことだしね」

あの時初めて会ったのは、俺ではなく陛下。けれど、記憶のなかには俺もいる。

「そうですか・・・。それでは、これで失礼します。どうも、ありがとうございました」

俺は小さく頭を下げると、猊下に背を向けて歩き出した。
もう振り返ることはないだろう。そう思っていたのに、猊下に不意に呼び止められる。

「ウェラー卿」
「・・・なんですか?」

頭だけを動かしながら、猊下のほうに目線を向ける。
猊下は挑発的に微笑みながら、俺のことを見つめた。

「君のこと、信用はしてるよ。信頼は、してないけどね」
「それは・・・・光栄ですね」

俺は目線を猊下から外し、扉へと手をかける。
苦い思いを噛み潰すように一度深呼吸をしてから、俺はゆっくりとこの部屋をあとにした。

「やっぱり、なかなか手強いな」

はぁっと溜め息をつきながら、長い廊下を歩く。
陛下には悪いけど、しばらくは出しでいてもらわなくちゃならないだろう。
勝負はまだまだ、これからなんだから。

















ウェラー卿の1人称って無駄に難しい気がします・・・。
コン村って見かけませんが、勝村以上にマイナーなんでしょうか?(汗
腹黒2人組み。いいと思うのですが。