意識しすぎて、いつの間にか近づけなくなっていた。
それもこれも栄口のせいだと、無意味な逆恨みまでしてしまう。
誰のせいでもないと、頭では分かっている。
遅かれ早かれ自らの気持ちに気付けば、それと向き合わなくてはならないのだから。
恋する少年 02
近頃は日増しに募っていくそれを隠すために、ろくに話もしていない。
もともとそんなによく喋るほうではなかったし、部員が変に思うことも無いだろうが。
―――泉あたりはどうか分からないけど。
そう思って、花井はこっそりと溜め息を付いた。
少しでも触れると、なんとか押し止めているものが溢れ出しそうで恐いのだ。
ギューッと抱き締めて、これでもかというくらい甘やかしてやりたい。
なんだか思考がだんだんと阿部染みてきた気がして、
いやいやそれだけは人間として超えてはいけないと日々葛藤しているのである。
だから今日もまた、この気持ちは隠し続けるつもりだった。
たとえ三橋がひょこひょこ可愛らしく、自分のほうへ駆け寄ってきてくれたとしても。
「花井、くんっ」
「おっ、おう。どうした、三橋」
高鳴る心臓をなんとか押さえ込んで、花井はいたって平静を装いながら彼に向き直る。
そんな花井に三橋はびくっとなりながらも、おずおずと何かを差し出してきた。
「あの、ね。これ・・・」
「それ・・・オレのタオル?」
恥ずかしそうにしながら目の前にだされた自分のタオルらしきそれを、花井は疑問符を浮かべながら見返す。
確かに自分のもののようだが、何故それを三橋が持っているのか。
花井の怪訝な表情に気付いたのか、彼はいっぱいいっぱいな様子で少し離れた場所を指差した。
「あっ、あそこに。えと・・・落ちてた、カラ」
「拾って、持ってきてくれたのか?」
あの三橋がと、花井が驚いたように目を見開く。
嫌われているとは思っていないけど、なんとなく苦手意識みたいなものはもたれていると思っていたから。
こくこくと一生懸命頷く三橋を見て、花井の頬がふにゃりと緩んだ。
「そうか。ありがとな」
言いながらタオルを受け取って、三橋の頭へと手を伸ばす。
くしゃりと彼の頭を撫でようとして、ピタリと。その手が止まった。
ここで触れてしまったら、絶対歯止めがきかなくなる。
すっと手を引っ込めて、自身を落ち着かせるために息を吐き出す。
多少おさまった鼓動で再び視線を合わせた三橋の瞳は――――何故か、濡れていた。
「えっ、ちょ!?三橋!!?」
「っく・・・うっ・・」
「おおおい!!なっ、なんで泣いてんだよっ」
「ごめ・・なさ・・・ふぇっ・・・」
謝りながら堪えきれなくなったのか、三橋がその場に蹲ってしまう。
聞こえてくる微かな嗚咽に、花井はパニックになりかけていた。
どうして彼が泣き出してしまったのか、まったく分からない。
はっきりとしているのは、自分が何かをしてしまったということだけだ。
ならば、やるべきことはただひとつ。謝ろう。
「はーなーいー?」
そう思った瞬間、地の底から響いたような重低音で名前を呼ばれる。
しまったと後悔してももう遅く、花井は恐る恐る背後を振り返った。
「よ、よう。栄口・・・と、みなさんお揃いで・・」
逃げ出したい。けれど、そういう訳にもいかず。
にっこり笑顔の栄口をはじめとする他の面々に、花井は精一杯笑みを浮かべた。
そもそも三橋が泣き出した時点で気付くべきだったのだ。
彼を溺愛している部員たちが、この場にやってこないはずがないではないか。
「どうも。それで、これはどういうことかな?主将」
「きっちり説明してちょーだいね、主将」
「珍しく意見が合ったな。オレの三橋を泣かせやがっ」
「別にお前のじゃないけどな。で、主将?」
「ゲンミツに頼むぜ、主将」
じりじりと詰め寄ってくる栄口御一行様は、今にも花井を殺りかねない勢いだ。
オレの人生、ここで終わりかもしれない。
花井が本気で、そう覚悟したときだった。
「花井くん、は・・・悪く、ない・・よっ」
何度もしゃくり上げながら、それでも必死に三橋が声を上げる。
それに驚いた全員の視線が、一斉に彼のほうを向いた。
急な視線にびくっとなりながらも、三橋はなんとか声を絞り出す。
田島がハッとした様に、慌てて彼の側へと駆けて行った。
「さっ、いきん・・・花井君、が。目とか・・で」
「へぇ。そんで?」
「今日も、で。だから・・・えと、オレ・・」
「あー、なるほどな。ほら、もう泣くなって」
一段落ついてまた涙腺が弛んできたのか、うるうるし始めた三橋を田島が優しく宥める。
今の彼の説明では何がなんだかさっぱりだが、田島だけは納得したのかしきりに頷いていた。
9組天然コンビと言われる所以ここにあり、である。
田島はポンポンと三橋の頭をたたいて、くるりと花井に向き直った。
「三橋は、花井に嫌われたと思ったらしいぞ」
「きらっ・・・!?なんでそうなんだよっっ」
自分に向けられた台詞に、花井はつい声を荒げてしまう。
だが好きな人に嫌われていると思われていて、冷静になどなれるはずがない。
田島は特に気にした様子もなく、三橋の言葉を代弁していく。
「なんか、最近目とか合わせてくんなくなったって」
「へっ・・・」
「んで今日も、手を引っ込められたとか言ってたぞ」
「はっ・・・」
どうなんだと目線で問われ、花井の頭が急速に冷えていく。
ハッとして三橋を見ると、不安そうに2人の様子を窺っていた。
本当に、迂闊だったと思う。
自分のことばかりで、彼のことなど何も考えていなかった。
「三橋、ごめんっ。オレが悪かった」
「ふえっ・・・?」
三橋の細い腕を掴んで、強引に立たせる。
触れることを、もう躊躇してなどいられない。
しっかりと彼のことを見据えて、告げる。
「嫌いじゃない。好き、だから」
「好、き・・・?」
「ああ、好きだ」
「ほん、と・・に?」
なおも疑わしげに尋ねてくる三橋に、大きく頷いてみせる。
すると今までの表情が一転して、パッと顔を輝かせた。
嬉しそうに笑う姿を見て、花井は心底ほっとする。
多分、彼は花井の言った好きの意味を解っていない。
だけど今はまだ、それでもよかった。
仲直りできてよかったなーと田島に言われてこくこく頷く三橋を見て。
別に喧嘩していたわけじゃないからそれは違くないかと、どうでもいいことが頭を過ぎり。
ぞくりと、背中に悪寒を感じた。
「随分と見せ付けてくれるね、主将」
「へっ!?ちがっ・・・これは、その・・・」
「言い訳は見苦しいよー、主将」
「はっ!!?」
「オレの三橋を誑かした罪は重いぜ、主将」
「なっ、お前のじゃないだろ!!」
「それは同感だけどな。んで、覚悟はできてんのか。主将?」
「ひっ・・・」
にこり、へにゃり、にたり、ふっと。
それぞれそんな擬音がつきそうな笑みを浮かべながら、静かに花井に詰め寄ってくる。
完全にこの存在を忘れていた花井は、さらなる自分の迂闊さを呪いたくなった。
ああ、もうホント駄目だ。オレの人生はここで終わるんだ。
でも最期に自分の気持ちが言えてよかったなと。
軽く花井の意識が遠退いたときだった。
「へっ・・・」
ぐいっと凄い力で引っ張られ、ぐらりと体が揺れる。
疑問に思う間もなく視界の端に三橋の姿を捉え―――――
――――頬に、暖かい感触を感じた。
「えっ・・・な、に・・・?」
呆然と呟いて、いま起こったことを考える。
無意識に頬に手を当てて、かっと顔が赤くなった。
「みはっ、おまっ・・・!?」
どんどん鼓動が早くなり、体中熱くなってくる。
今のはいったいどういうことだ!!?
花井が驚いて三橋を見ると、にこっと少し照れたように微笑まれた。
「あの、仲直り。は・・ほっぺにチュって、する、んだって。しゅ・・叶君、が・・・」
「かっ・・・」
彼の口から飛び出した名前に、花井はなんとも微妙な気分になる。
これは素直に、三星のピッチャーに感謝すべきなのだろうか。
そう思って、ちらりと茫然自失となっている奴らに目を移す。
取り合えず、命の恩人ではあるらしい。
そこだけは感謝しておこうと、熱くなった頬を押さえながら大きく息を吐き出した。