空は快晴。窓を開け放つと、心地よい風が吹き込んできた。
いつもはこの太陽の下で白球を追い掛けているんだと思うと、なんだか不思議な気分だった。
こくはく
今日は非常に珍しい野球部の休日ということで、栄口は三橋邸へとお邪魔していた。
普段の生活のなかで、彼と2人きりになれることはまずありえない。
部活云々の問題では無く、原因は周りに群がる害虫のような存在どもだ。
何かにつけて三橋にべったりしては、彼を遠ざけようとしてくる。
(まあそんなもの、たいした障害でもなんでもないから構わないけどね)
やられたらやり返す。倍返しがモットーの栄口勇人である。
はてさて。そんな調子で、次の休日をいかに2人きりで過ごすかと考えていたときだった。
やっぱり撲殺でもすべきかなぁと笑顔でやたら物騒な計画を立てていたら、なんと!
三橋自ら、遊びのお誘いをしてくれたのだ。
その時のことを思い出すと、今でも顔がニヤけてくる。
『あのっ、えと・・・そ、の。次のお休み、オレの家にきっ、来ませんかっ』
驚きすぎて硬直していたら、それを拒否と受け取ったのか、だんだんと顔が悲しそうに崩れていって。
慌てて頷けば、途端にふわりと最高の笑顔で笑ってくれた。
あまりの可愛さに思わず抱き締めそうになったけど、そこは自重。
紳士な男には、忍耐力も必要なんです。
「さ、かえぐち君」
甘やかな声に名前を呼ばれ、一旦思考を中断。にこりと微笑みながら眼を向ける。
大きなおぼんの上に2人分の飲み物とたくさんのお菓子を乗せた三橋が、ひょっこりとドアから顔を覗かせた。
「お。おま、たせー」
「三橋!?だだ大丈夫!?」
ふにゃっと笑い返してくる三橋に、栄口は慌てて駆け寄っていく。
ふらふらした足取りで、今にもおぼんを引っくり返しそうなのだから当たり前だ。
万が一割れたグラスででも怪我をされたら、例え三橋が許しても、自分自身が許さないだろう。
それこそ切腹でもするかもしれない。
・・・大袈裟でもなんでもなく、本人はいたってマジである。
「大丈夫、だよっ」
そんな心中知ってか知らずか。
三橋はにこっと笑顔で栄口を制して、よたよたとテーブルまで歩いていく。
とさっとおぼんを置いて、満足そうにはふっと息をついた。
それを見届けて、わたわたと慌てていた栄口もほっと息をついた。
こういう時に、つくづく思う。
自分の世界が、何を中心にして回っているのか。
(・・・いや、違うな)
中心で回っているのではなく、もうそれ自体が世界そのものなのだ。
いつからこんなことになったんだろうなぁと思わないこともないけれど。
そんな自分も嫌いじゃない。
だって、可愛いあの子を独り占めできるんだから。
「栄口君?」
「ああ、ごめんね。ちょっと考え事してたからさ」
「考えご、と?」
きょとんと首を傾げる姿に、君のことを考えていたんだと告げればどうなるか。
安易に想像できて、自然と笑みが浮かんだ。
だから試しに、違うことを口にしてみる。
「ねっ、三橋。ここ、来ない?」
「ふぇっ・・・」
「誰もいないことだしさ」
そう言って示したのは、自らの膝の上。
にこりといい人スマイルを浮かべると、ばふっと三橋の顔が真っ赤になった。
栄口の顔と膝の上をいったりきたり、三橋はきょときょとと視線を彷徨わせる。
ああ可愛いなぁと、栄口がクスっと微笑んだときだった。
ピタっと視線が絡み合って、どきりとする。
三橋は潤んだ瞳を向けていて、何かを決意したようにそろそろと栄口に近寄っていった。
「み、はし?」
「あのっ、その・・・えと、」
柄にもなく声が震えて、眼の前で立ち止まった三橋をじっと見詰めてしまう。
(・・・ああ、そっか)
そして不意に、気が付いた。
何かを言いたそうにもごもごする三橋に、栄口はふわっと微笑んだ。
「おいで?」
「っ!あぁあ、うぇとお、邪魔。します」
「はい、どうぞ」
両手を広げて呼び掛けると、遠慮がちにおずおずと。
それでも嬉しそうにはんなり笑いながら、三橋はぽすっと栄口の膝の上に身を預けた。
暫く互いのことを見詰めあって、栄口はぎゅうっとその体を抱き締めた。
「ぅ、わわ・・・」
突然のことに驚いたのか、腕のなかで三橋が声をあげる。
しかしすぐに安心したように力を抜くと、控え目にきゅっと栄口の服の裾を掴んだ。
ああ、なんなんだろう。この可愛い生き物は。
栄口は振りきれそうになる理性を必死で抑え、腕に力を籠める。
彼のことが愛しくて愛しくてたまらなかった。
「三橋、好きだよ」
言葉にしないと胸が苦しくなりそうで、三橋の耳元でそっと囁く。
それでもまだ足りないような気がして、栄口はうわ言のように続けた。
「好きだ、本当に大好きだから」
「さか、えぐち、君」
「三橋・・・」
「オ、レも」
呟いて、三橋が栄口の胸板をとんと押してくる。
それに腕の力を緩めると、真っ赤な顔をした三橋がおずおずと顔を上げた。
息を吸って吐いて、栄口の瞳を覗きこむ。
とくんと、心臓が小さく鼓動した。
「栄口君の、こと。大、好きっだよ」
「っ・・・」
三橋は言って恥ずかしくなったのか顔を俯かせ、けれどすぐに視線を上げて、へにゃりと微笑んだ。
ほんわかと、栄口の胸が暖かくなる。
甘くもあり切なくもあり苦しくもあり。
栄口は何故だか泣きたい気分で、にこりと笑みを浮かべた。
「ありがとう、三橋」
オレを好きでいてくれて。
オレのことを好きになってくれて。
心のなかだけで告げて、栄口は悪戯っぽく口許を緩めた。
「でも、きっとオレのほうが三橋のこと。好きだよ」
「うぇっ、おっオレのが好きだ!」
「オレだよ」
意味のない言い合い。確かめられない問い。
それでも栄口にとっては、この無意味な掛け合いが酷く愛しかった。
「オ、レのがっ」
「オレだって」
何度かそれを続けていると、珍しく三橋がむっとした表情を作る。
(ヤバ。からかいすぎちゃったかな)
やりすぎたと内心焦るも、あまり見られない三橋の怒った顔に、
若干のトキメキを感じてしまっていたりするのは―――まあ、仕方のないことである。
それでもやっぱり、三橋は笑った顔のほうが断然いい。
「みはっ・・・」
栄口は謝ろうと口を開き掛け―――
それは信じられないものによって、遮られた。
柔らかなそれが押し当てられたのはほんの一瞬。
濡れた唇だけが、その感触が幻ではないと主張していた。
突然の出来事に頭がついていかず、栄口は呆然としてしまう。
三橋は顔を真っ赤にしながらも、むぅっと頬を膨らませて、栄口のことを覗きこむ。
そしてほわっと、表情を綻ばせた。
「オレだって、栄口君、のこと・・・えと、いっぱいいっぱい、大好きなん、だよっ」
控え目に笑う笑顔に、だんだんと意識が戻ってきて。
かぁっと、頬が熱きなるのを感じた。
「三橋っ」
「うひゃっあ」
顔を見られたくなくて、再び腕のなかに三橋を抱き締める。
驚いたように間の抜けた声を上げた三橋も、ぎゅっと栄口の体を抱き返してきた。
「ずっと一緒にいようね、三橋」
きっともう手放せないから。
でも、三橋もおんなじだよね?
そんな思いをこめて、栄口は抱き締める腕に力を籠めたのだった。