名前を呼んで



ほにゃあと普段の何倍も締まりのない顔をしながら、しかし幸せそうに目の前の彼を見つめる。
ほわほわした髪の毛だとか、大きくてパッチリした瞳だとか。
キョロキョロオドオドした姿でさえ愛しいと思ってしまうのだから、自分もほとほと末期かもしれない。
でも幸せだからいいんだー、と自分で自分につっこんで水谷はヘラリと笑う。

「三橋ー」
「水、谷くん・・・」

名前を呼べば、返ってくる。
そんな単純なことが、こんなにも嬉しいとは思わなかった。
詰まりながらも一生懸命に、
照れたように笑いながらゆっくりと、
そんな風に名前を呼んでもらえるだけで、特別な気がする。
幸せですっと顔中で表現された水谷は、よりいっそう笑みを深くした。

「みはしー」
「うぉっ・・・水谷、君」
「みっはし」
「み、みず、たにくん」
「三橋」
「み・・・水、谷くん?」

何度も飽きることなく、水谷は三橋のことを呼び続ける。
まるで世界に2人だけしか存在しないような、そんな錯覚に陥ってしまいそうだ。
しかしもちろん、錯覚は錯覚でしかなく。

「いい加減キモいんだよ、クソレフト」

超絶不機嫌な捕手様の声で、唐突に現実に引き戻された。
しかも、バシっと頭を叩かれるというオマケつきで。

「いったー!?なにすんだよ、阿部!」
「うるせぇ。キモいっつってんだろ」

涙目になりながら頭をさする水谷を、阿部が冷たく見遣る。
いつもならその不機嫌オーラに逃げ腰になってしまうところだが、生憎と今日は幸せ絶好調。
たとえ人を射殺せそうな視線で睨まれたって、痛くも痒くもない。
さすさすと頭をさすりながら、水谷はじとっと恨みがましく阿部を見返した。

「せっかく三橋とイチャイチャしてたのに、邪魔しないでよ」
「だから、それがキモいんだよ」
「へぇ。じゃあ、三橋も?」
「はぁ?」
「だってー、俺だけじゃなくて三橋も一緒だったしー」

ねー?と目の前にいる三橋にニヘラと笑いかけると、こくんと小さく頷き返してくる。
三橋はそれから阿部のほうを向いて、やっぱり俺ってキモいよね?みたいな目で見上げた。
今にも泣き出しそうな濡れた目を見た瞬間、阿部のなかの何かが崩れ落ちていく。
―――――言うまでもなく、理性の2文字なのだが。

「三橋っ!おまえはキモくなんかねぇっ。いつも俺の事を阿部くん、阿部くんと可愛らしく呼んでくれるじゃないか!
ああ、今日だって・・・・」
「ちょと!?俺の三橋で変な妄想しなっ・・・」

暴走しはじめた阿部と、三橋に抱きつこうとした水谷が床に倒れこんだのは、ほぼ同時だった。
パンパンと手をはたきながら、泉が冷たく彼らを見下ろす。

「安心しろ。キモいのは間違いなく、てめーらだ」
「あっ、三橋は全然キモくないよ?むしろ可愛いから」

にっこり笑って栄口がフォローすると、すっかりびくびくしていた三橋は少しだけ笑顔を浮かべる。
よしよしと頭を撫でてから、栄口は常時用意してあるアメ玉を差し出した。
最初は困惑しながらも、栄口に促された三橋はありがとうと嬉しそうに笑う。
いつの間にか泉も加わって、3人のあいだにほんわかした空気が流れていたのだった。





と、そんな様子を眺めながら、花井は深々と溜め息を吐く。
和やかなのはいいことなのだが、すっかり忘れられている水谷や阿部の立場はどうなんだろう。
食べ物で釣られてくれるのはいいのだが、釣られやすいのもどうかと思う。
はぁっともう1度息を吐き出しながら、眼下でもぞもぞと動く水谷を見遣った。

「大丈夫か、水谷」
「んー、平気。ホント泉ってば容赦ないよねー」

言いながら、水谷はいつものように笑って服についてしまった埃を掃う。
なんだかなぁと花井は小さく嘆息した。
水谷の行動は、どうにもよくわからない突飛なものばかりだ。

「あのさ」
「なにー?」
「ああいうのを、部室でやるなよ」

2人が付き合ってるのは、皆知ってるんだから。と言外に含ませて、そう告げる。
知っているのと、割り切るのではわけが違う。
心中複雑な部員達としては、目の前でイチャイチャされればどうしても邪魔したくなる・・・ものではないか。
むぅと眉根を寄せる花井に、水谷は相変わらずヘラヘラ笑っていた。

「それじゃ意味ないから」
「はっ?」
「だってー」

いつもと変わらない、変わらないはずの笑みが何故か別人に見えて。
花井は聞くんじゃなかったと、心底後悔した。

「誰のものかってこと、知ってもらわないと。ね」

三橋ーっと叫びながら駆け出していく水谷の後ろ姿を見送って、あいつらにかかわるのはやめようと心に誓う。
なんだか力が抜けてその場に座り込みながら、今日何度目かになるかも分からない溜め息を吐いたのだった。










水谷は束縛しない束縛なイメージなので。
そんな感じの甘さを出したかったんですが・・・どうなんでしょう(聞くな
しかも、キモいって言い過ぎだなとか思ったり。