最初はそれだけでよかったのにな、なんて。
青すぎる空を見つめながら、ぼんやりと思った。
幸せの時間
軽快とは程遠いリズムでシャーペンを走らせながら、目の前の少年がこてんと首を傾げる。
くすりと笑みを浮かべて、ノートの文字をちょんと指し示した。
「ほら、ここ」
「あ、う?」
示したのは答えではなく、あくまでヒントだ。
答えを教えてしまったら意味がないし、そんなことが必要ないのは自分が誰よりもよく知っている。
その証拠に首を捻っていた三橋が、ハッとしたように答えを書き入れていった。
こうして一対一で勉強を教えるようになって気が付いたのは、三橋は決して頭が悪いわけではないということだ。
ただ人より物覚えが悪いだけなので、何度も根気強く教えていけば、きちんと理解することができる。
教える側にしてみても、三橋自身がひとつひとつに一生懸命取り組んでいるのが分かるので、それが苦にならないのだ。
だけど、それ以上に。
この時間だけは、無条件で2人きり。だから。
真剣に問題に取り組む姿だとか。
困ったように助けを求めてくる瞳だとか。
理解できたときの嬉しそうな笑顔だとか。
今だけはゼンブゼンブ独り占めで。
それだけで、十分幸せだった。
なのに。
人間の欲ってものは何処まで深いのか。
そんなことを他人事のように考えて、西広は小さく苦笑を浮かべた。
「あの・・・」
控え目に呼び掛けてくる声が聞こえてきて、意識を三橋のほうへと向ける。
余計なことは頭の隅に追いやって、彼が話しやすいように空気を緩めた。
「どうしたの、三橋」
「あ、うんと・・・えと」
「ゆっくりでいいから、ね?」
言ってにこりと笑えば、三橋がほっとしたように息を付く。
おどおどと彷徨わせていた視線でしっかりと西広を見つめ、にこっと微笑んだ。
「あ、と。あり、がとうっ、西広君」
「うん、どう致しまして。役に立てたならよかった」
それは、西広の本心だった。
自分が三橋にできることなど、ほとんどない。
マウンドに独り立つ彼を、支えることができればいいのに。
「・・・オレは、試合中とかさ。三橋のこと、助けてあげられないから」
なんとなく情けないなとは思ったけど、伝えるのも悪くないとも思う。
言葉にしてみなければ、何も始まらない。彼との会話は特に、だ。
けれど困らせるだけだということも分かっているので、やっぱりこれは欲という奴なのだろう。
だから、意外だった。三橋の口から出た次の言葉が。
「そ、そんなこと、ないよっ!」
「え?」
浮かべていた苦笑がたちまち引っ込んで、間の抜けた声を上げてしまう。
ポカンと口を開けている西広に、三橋が珍しく勢い込んで詰め寄ってきた。
「オレは・・・いつも元気もらってる、から」
「元気って・・・三橋が、オレに?」
「そっ、だよ。頑張れって西広君の声、聞こえるよ」
「っ・・・!」
一瞬息が止まり、驚きで西広の目が大きく見開かれる。
ありえないと思っていた。
届かなくていいと思っていた。
けれど三橋は嬉しそうに、ふわりと笑顔を浮かべた。
「だ、から・・頑張ろうって。オレ、思えるんだ」
「三橋・・・」
「いっぱい、いっぱい助けて、もらってるから」
ありがとう、と。
上気した顔で、必死に、言葉を紡いで、西広に笑いかけたのだ。
どきどきと、激しく胸が高鳴る。
顔に熱が集まるのがわかって、三橋の顔をまともに見られなかった。
ああ、それだけでよかったのに。そんなふうに言われたら、我慢なんかできない。
「オレもありがとう、三橋」
「ふ、え?」
西広が赤くなった顔を上げてお礼を言うと、
三橋は何故そんなことを言われているのかわからないという顔で、不思議そうに目を瞬かせた。
愛しい愛しい君。
どうかどうか、オレだけを見ていてくれるよう。
さあ、まずは何から始めようか。
「ねえ、三橋」
「う?」
「今日さ、一緒に・・・手繋いで帰ろう?」
「へっ・・・ええ!?あああのっ・・・」
「あっ、やっぱり嫌だよね・・・」
「ちっ、違っ!?あの、嬉し、よ!」
「本当?」
「う、うんっ。オレも、手繋ぎたい・・・です」
「・・・よかった。ありがとう」
「オレ、オレも!ありがとうっ」
「うん、また何かあったら言ってね」
取りあえずは、西広“先生”の立場を最大限利用させてもらおう。
走り始めた感情は、もう止まりっこないんだから。
何処までもマイナー一直線な西ミハです。
割と攻めてますね、西広先生(笑
というか、口調がイマイチわからないですよ。先生・・・
そして相変わらず勢いだけで書いた話ですが・・・
少しでも楽しんでくだされば幸いです!