野球部主将なんて名ばかりで、要は体のいい雑用係なんじゃないかと思う。
理不尽な要求と、押し付けられる無理難題。
ともすれば暴走しがちな部員に巻き込まれて、結局後始末は自分の役目で。
毎日毎日、胃の痛まない日はない。
それでも日々を過ごしていけるのは、偏に彼のおかげだと思う。
なのに。なのに、だ。

「もっ、これやっちゃ、ダメだから、ねっ」

無理やり腕から逃れられ、顔を真っ赤にしながらそんなことを言われて。
・・・あれ?オレ、何かしました?




    たりないのは




最近花井がおかしい。
初めにそう言い出したのは、同じクラスでもある水谷だった。

「ああ?おかしいって何が」

目の前に座った水谷をちらりと見て、面倒くさそうに声を掛けてきたのは泉だ。
その隣では田島が、さして興味もなさそうに昼飯にかぶりついていた。
花井の扱い酷いなぁと思いながら、水谷は口を開いた。

「んー、何がって言われても困るんだけどね」
「それでおかしいとか言ってんのかよ」
「まあねぇ。でも、泉たちだって気づいてるでしょー?」

問いかけると泉が考え込むように押し黙り、どうやら図星らしい。
水谷と彼らの違いは気づくか気づかないかではなく、言うか言わないかだ。
もっとも、まったくの善意からこんなこと言っているわけでは無いんだけど。
にへらっと、水谷は泉に笑みを向ける。

「だから、どうなのかなーって」
「・・・どうって、何が?」
「いやぁ、花井を元気付けたほうがいいのかと思ったんだけど」

数秒か数分か。バチバチとした異様な空気が2人を包む。
しかしそんな空気など意に介さず、彼らに割ってはいる声があった。

「別にどうでもいいよ」
「は?」
「え?」

突如聞こえた辛辣な台詞に、水谷と泉が驚いたように彼のほうへと顔を向ける。
どうでもいいって、これは酷いというかいっそ哀れだなとか。
そんなことを思って、水谷の空気がへなっと弛んだ。

田島は紙パックをジュージューと吸って、ぐしゃりとそれを握り潰す。
瞳が若干、試合モードの色を帯びていた。

「泣かせるようなマネしたら容赦しないけどな。ゲンミツに」

その言葉に便乗するように、泉が不敵な笑みを浮かべて。
水谷はやれやれと、小さく苦笑した。
田島がここまで断言するのだから、こっちは問題ないんだろう。




そしてそれは、唐突に起こった。




花井は虚ろな眼で、ぼんやりと視線をさ迷わせる。
もうどのくらい、彼に触れていないんだろう。

「花井ー?大丈ぶ・・・」
「あー・・・」
「・・そうじゃないねぇ」

花井の顔を覗き込みながら、水谷が苦笑を浮かべる。
おそらく心配してくれているんだろうが、今の花井には水谷のことなど目に入らなかった。
ああ、そろそろ本当に限界だ。
そんな風に思ったところに、彼の姿がちらりと視線を横切って。

「は、花井?」

突然ふらりと立ち上がり、幽霊のような足取りで歩き出した花井に、水谷がおずおずと声を掛ける。
花井は水谷をちらっと振り返り、そして、言った。

「三橋がたりない」
「は・・・なっ!!?」

がんっと絶句している水谷をよそに、花井はふらふらと進んで行く。
眼の端に彼の姿を捉え、ぴたりとその場に立ち止まった。
最後の気力を振り絞って、おもいっきり叫ぶ。

「三橋っ」

その声にびくりと体を震わせて、彼がゆっくりと振り返ってきた。
久しぶりに真正面から眼が合って、気がついたときには駆け出していて。

「三橋っ・・・」
「わ、わわ・・・」

あっという間に傍まで近づいて、彼の体を抱き締めていた。
じんわりと伝わってくる温かな体温に、沈みきった心が癒されていく。
だがやはりと言うか、腕のなかから非難の声が上がった。

「はっ、ないく・・・ダメって言った、のに!」
「悪いけど、もう限界だから」
「へぅ・・で、でもっ」
「いやだ」
「花井くっ・・・」

抵抗されるとは思っていたが、ここまで必死になられると流石に傷付く。
すでに少し半泣きになっている彼を、花井はじっと見つめた。
むしろ、泣きたいのはオレのほうじゃないのか。

「オレのこと・・・嫌い、か?」

頷かれたらどうしようかと思いながら、それでも躊躇いがちに口にする。
すると彼は勢いよく、ぶんぶんと首を振った。
ぱっと心が明るくなり、けれど浮かぶのは次の疑問。

「ちがっ、違うよ!?」
「じゃあ、どうしてなんだよ?」
「あ、うん、と・・・」
「三橋?」

花井が優しく促すと、おずおずと視線を上げてくる。
何度か口をパクパクさせ、意を決したように花井の服をぎゅっと握った。

「あの、オレ・・・汗くさい、から」
「・・・汗?」
「う、ん。くさい人は、嫌われるって・・・それで、オレ・・・」
「そう、か」

おそらくクラスか何かで、誰かが話しているのを聞いたんだろう。
それで、体のにおいを気にして嫌がるようになった。
それはつまり、自分に嫌われたくないと、そう思ってくれていたということで。

「馬鹿だな、三橋」
「ふえっ・・・」

甘い蕩けるような笑みを浮かべて、花井は腕に力を籠めた。

「オレはそんなこと、気にしねぇのに」
「は、ないくん・・・」
「オレはどんな三橋だって、好きだよ」
「お、オレもっ・・・好きっ」
「三橋・・・」

花井のその言葉に答えるように、ぎゅうっと彼が抱き返してきて。
久方振りの体温と感触と。
嬉しそうな笑顔に、花井は眩しげに眼を細めたのだった。








「なんか失敗したって感じだよねー」

人目も憚らずグラウンドで抱き合う2人を見ながら、水谷が面倒くさそうに告げる。
泉はちらりともせず、チッと舌打ちを響かせた。

「花井の奴・・・覚えてろよ」
「あははっ、泉ってば恐いなぁ。あんまり苛めちゃダメだよー?」
「それをお前が言うのかよ」

吐き捨てるように告げる泉に、水谷は心外だとばかりに大仰に驚いてみせる。
視線は動かさず、そのままで。

「オレはそんなことしないし」
「どーだか」
「泉と一緒にしないでよね。文貴くんはいい子なんです」
「はっ・・・ったく、付き合ってらんないな」

忌々しそうに顔を歪めながら、泉は肩を竦めて溜め息を漏らす。
水谷は楽しそうにカラカラと笑いながら、がぁっと両手足を投げ出した。
空は青く、どこまでも続いている。

「あーあ、やっぱなんとかしとけばよかったなぁ・・・」

ポツリと淋しさを滲ませたそれは、誰にも届くことはなく。
けれどどうやら、あの流れる雲とともに過ぎ去ってしまうこともなかった。

















書き終えてから、水谷と泉のシーンはいらないんじゃないかと思いました。
でも削るのも勿体無い・・・というか、私がこの2人の会話が好きなだけです(ぉぃ
おかしいなぁ・・・純粋な甘いハナミハを書くはずだったのにー。
でも多分これからもこんな感じです、絡ませたいんです(笑