びたーびたーすいーと (後半戦)
あまいあまいかおりが鼻を擽って、リューグは思わず足を止める。
意識して辺りを見回すと、どこもかしこもバレンタイン一色だった。
最もそれが分かったところで、行く当てがないことにはかわりはないのだが。
それなら家に戻るべきか、一瞬過ったそれはすぐに打ち消す。
「・・・ぶらぶらして時間潰すか」
例え周りがカップルだらけで、なんだか居た堪れない視線を向けられていようともだ。あんな場所へ帰るくらいだったら、その程度の試練は乗り越えてみせよう。でなければ、なんのために外まで逃げ出して来たというのだ。
先ほどまでの頭痛を思い出して、リューグは街の奥へ奥へと進んでいった。
* * * * *
人というのは不思議なものである。
決して意識していたわけではないにも関わらず、だ。
彷徨っていたはずの足は、いつの間にかいつも訓練のために訪れるそこへと向かっていた。
嗚呼、こんなことなら得物を持ってくるんだった。
「リューグ?」
軽い後悔を覚えたところで、突然柔らかな声で名前を呼ばれる。
まさかあいつらの追いかけてきたのかいやしかしそこまでするかでもあいつらならいやいや。
思考だけがぐだぐだと流れ一向に纏まらないまま、リューグは声の主へと視線を向けた。
「・・・シャム、ロック?」
理解する前に、言葉が先に紡がれる。
そして思考がやっと追い付いて、ああ。確かに目の前のこの男はシャムロックだなと認識した。
やっぱりリューグだったねと穏やかに微笑む彼の姿に、何故だかとてもほっとした気分になったのは何故なのだろうか。
「君も体を動かしにきたのかい?」
「あ?いや、まあ・・・俺は」
「ん・・・まさか、なにか」
「いやいや!なんもねぇよ。ただの散歩だ」
「そうか。ああ、リューグが武器を持ち歩いてないのが珍しくてね」
「俺にも色々あんだよ」
答えた声が思いのほか拗ねたような口調になってしまって、リューグははっとする。
慌ててシャムロックのほうを窺うと、彼は驚いたように瞳を瞬かせていた。
リューグは今迄シャムロックには子どもだと思われたくなくて、必死に虚勢をはっていた。
もちろんそれは彼に限らずのことなのだが、こと彼に関しては普段の何倍も気をつけていたのだ。
それがどういった感情を伴なっているのかは自分でも理解出来なかったが、ただ彼と対等な立場でいたいという想いだけは確かだった。
そうしてこれまで必死に頑張ってきたのに、この失態。それはシャムロックだって驚くだろう。
もう駄目だ、何もかもがお終いだ。
何故これだけのことでこんなにも沈んでいるのかも分からぬままに絶望していると、
「・・・よかった」
嬉しそうなシャムロックの声が聞こえて、リューグは弾かれたように顔をあげた。
照れたように微笑みながら、彼は真っ直ぐにリューグのことを見つめてくる。
「実は私は、リューグに嫌われているのかと思っていてね」
「は・・・、」
どうしてそうなるんだ。
むしろ彼は嫌いとは一番対極にいる存在であって、それはつまり。
・・・つまり?は?つまりなんだ、俺は、こいつのことがす、
「ばっ・・・!?」
思い至った思考に、かっと熱が体中を駆け巡る。
しかしシャムロックはそんな不自然なリューグも呆れているだけだと思ったのか、小さく苦笑を零すだけで。
真っ白になった頭のなかには、ただただ優しい音だけが響いた。
「もちろん、君が人を選り好みするような子じゃないっていうのは分かっていたよ」
「ただ、私にはあまり心を許してくれてないみたいだったから」
「マグナや、その・・・フォルテ様には随分とくだけた表情を見せていて、だから」
流れる言葉は、多分半分も理解出来ていない。
依然として機能停止したままの思考回路は、なんの役にもたってくれない。
それでも、だからこそ、その言葉だけはしっかりと言葉になって届いた。
「羨ましかったんだ、君の色々な顔を見ることのできる彼らが」
リューグは呆然として、シャムロックを見上げる。
言葉としての理解は出来るが、意味がまったく分からない。
困惑したリューグの視線に気がついたのか、シャムロックははっとしたように両手をぶんぶんと振った。
「す、すみません!あの、決して変な意味ではなくてですね、その」
「え、あ、いや・・・え」
「あの、本当に、ただ、純粋な意味でというか、ですから!」
顔を真っ赤にして酷く狼狽しているシャムロックを見て、リューグは落ち着くどころかどんどん焦りをましていく。
何か言わなければならないのに、紡がれるのは言葉にならない呟きばかりで。
それでもなんとか言葉にしようと思って出たのは、紛れもない本音だった。
「別に俺は、変な意味でも全然かまわねぇしっ」
しんと、一瞬で辺りが静まり返る。
痛いくらいの静寂に、体がピリピリするような気さえしてきた。
どちらもなにも喋れぬまま、時間だけが過ぎていく。
そんな一生分の沈黙を突き破ったのはリューグでもなく、またシャムロックでもなかった。
にゃあ。
間抜けな声が空気を揺らし、時間を動かしはじめる。
足元に温かい温度を感じて視線を動かせば、予想した通りのものがそこにあった。
「ねこ、だな」
「・・・そのよう、だね」
呟いて、答える声に導かれるまま視線を交わす。
にゃあにゃあと鳴き続ける子猫に絆されたように、シャムロックが穏やかに微笑んだ。
リューグはなんとなく気恥ずかしくなって、さっとその場にしゃがみこむ。
すり寄ってくる子猫を幾分乱暴に撫でながらも、気持ちいいのか子猫はされるがままになっていた。
「どうして子猫がこんなところにきたのだろうね」
「あー・・・腹でも減ってたんじゃねぇか」
「食べ物を探して?」
「ああ・・・っと、そうだ」
食べ物と言われて、それまですっかり忘れていたポケットの膨らみを思い出す。
ゆるやかな会話で落ち着きを取り戻したリューグは、シャムロックを見上げながら小首を傾げた。
「猫って、チョコ食うのか?」
「・・・・・・かわ、」
「シャムロック?」
「はっ、ははははい!!?」
「だ、大丈夫かよ?」
「だいっ、大丈夫です!」
そんなに動揺させるような質問をしてしまっただろうか。
右に倒した首を左に変えて、シャムロックの顔を覗き込むように見つめる。
すると何故かふいっと視線を逸らして、ごほんと大きく咳払いした。
「お、おい。シャムロック、俺なにか」
「猫にチョコをあげたら駄目だよ、リューグ」
「へ、あ、ええ?」
「チョコには猫が食べてはいけない成分が含まれているからね」
「え・・・っと、そう、なのか」
結局なんだったのかさっぱりわからないが、怒っているようでもないのでそのままスルーすることにした。
いつも以上の爽やかな笑顔に絆されたとかそんなことでは決してないのだが。
「この子には、これをあげたらいい」
「ん?これって・・・」
チョコがあげられないと分かって落ち込んでいると思ったのか、シャムロックがそれを差し出してくる。
にこにこしながら手渡してくるものだからつい受け取ってしまったが、だって、これは。
「にぼし、だよな?」
「猫にはいいと思うよ」
「いや、まあ・・・つうかお前、いまポケットからだしたよな。それ」
「うん?騎士たるものにぼしくらいはもっているべきだからね」
「ああ、そっか。これはツッコむとこじゃねぇんだよな」
「どうかしたのかい?」
「いーや、なんでもねぇ」
不思議そうにするシャムロックに苦笑を零して、リューグは子猫に向き直る。
手にしたにぼしをかかげると、嬉しそうに子猫が鳴いた。
しゃむしゃむと無くなっていくにぼしを見つめて、リューグはそっと立ち上がる。
ポケットに手を突っ込んで、くしゃくしゃになってしまった包みを取り出した。
一歩、二歩、三歩。シャムロックから離れて、くるりと振り返った。
「ほらよ」
放り投げたそれは綺麗な放物線を描いて、シャムロックの手のなかに収まる。
何が何だか分からずにきょとんとする彼に、リューグはふわりと微笑んだ。
「ありがたく食え」
へっと間の抜けたシャムロックの表情は滅多に見れるものではなく、それがなんだかすごく嬉しかった。
ああ、これなら頑張ったかいがあったかもしれない。
リューグは幸せそうに顔を綻ばせて、嫌で嫌で仕方がなかった家路へと向かうのであった。
まさかのシャムロック落ちという、完全に俺得な内容ですみませっ・・・!
でもバレンタインは絶対にこの落ちにするんだ!と実はサイト開設前からの密かな野望がやっと叶いました(笑
彼の口調が似非すぎですが、個人的には敬語であたふたなシャムロックさんが書けて満足です!
あっ前半と後半のノリが違いすぎてアレですが、そんなところも御愛嬌ということでひとつ。
今後もシャムリュ(でいいんだろうか?)を普及していきたいと思いま、す!