びたーびたーすいーと (前半戦)
部屋に漂う甘い匂いが、ふわりと鼻を擽る。
釣られて伸ばしそうになった手は、笑顔の我が妹君に叩き落とされた。
「つまみ食いはダメですよ」
「べっ、別にいいじゃねぇか。俺が作ったんだし」
無理やり台所まで拉致られて、何をさせられるかと思ったら菓子作りだ。
アメルやらミニスやら仲良し姉妹やらがきゃっきゃっしながらチョコレートを作っているのを横目に、ひとり黙々と作業していた自分は馬鹿みたいだった。というか、馬鹿だ。何故大人しくチョコ作りなどしていたのだろうか。実は楽しかったなんてそんなこと、断じてない。
「はい、できました」
「・・・は?」
「ラッピングです。本当はリューグにやってほしかったんですけど」
飛んでいた意識を引き戻してアメルを見ると、にっこりと微笑まれる。
諍う暇もなく、いかにもな感じで包装されたチョコレートをぐいっと押しつけられた。
「さすがにそこまでは期待できませんから」
期待ってなんだ。
ぐしゃりとした鈍い音は、気のせいだと信じたい。
「え?それはもちろん、あの人のことを想いながら可愛らしいラッピングを・・・」
「って、あの人って誰だよ!?それ以前に心のツッコみに反応すんじゃねぇ!」
「ふふ、すみません」
可愛らしく笑みを浮かべるアメルには、多分一生敵わないのだろ。
そう悟ったリューグは無駄な抵抗を諦め、握りしめていた包みを無理やりポケットにねじ込んだ。
本当は後片付けまでしなければいけないのだろうが、そのくらい彼女たちに任せてしまって構わないだろう。ささやかな仕返しである。
「あっ、出かけるんですか?」
「ああ、ちょっと出てくる」
「いってらっしゃい!頑張って渡してきてくださいね!」
「・・・・はぁ」
誰もチョコを渡しに行くなんて言っていないのに。
思わず漏れた溜め息は、天使の微笑みを浮かべる彼女には届かなかった。
* * * * *
何処かに行く当てがあったわけではない。
ただこのままだともっと面倒なことになる気がして、早くひとりになれる場所へと逃げたかったのだ。
取り敢えずは外に出ようと、つま先を押し込んでいたその時、
「リューグーっっ・・・って、おわぁ!?」
がっしゃんっと凄い轟音を響かせながら、マグナが玄関に突っ込んできた。その衝撃でぐわわんと扉が揺れる。けれど幸い無事でないのはマグナだけのようで、リューグはほっと胸を撫で下ろした。
「扉は無事、か」
「ちょっとリューグ!!俺の心配は!?」
「なんだ、いたのかよ」
「いたよ!というかなんで避けるんだよー、気が付いてただろ?」
「ああ、悪い。悪寒がしてな」
冷静に、冷静に。
さらさらと受け流すことだけを考えて、マグナの相手をする。
もう彼の戯言のひとつやふたつで動揺するようなことは、
「もう、リューグってば照れ屋だな」
「バカか!」
無理だった。
どんなに経験値をつもうが、そんなことは不可能だった。
どこぞの眼鏡と同じような台詞とともに、全力でマグナに拳を叩きこむ。
「いっ!?ちょっ、リューグ痛いよ」
「ハッ、当たり前だ。テメエが分けわかんねぇこと抜かすからだろうが」
「まったくもう。まあ、そんなところも可愛いけどさ」
「はあ?なんだって?」
「だから、リューグはそんなところもかわい「お前ちょっと黙れ!」
笑顔でとんでもないことを言うマグナに、リューグはふるふると肩を震わせる。
基本的にはいい奴だし恩義もあるのだが、何かにつけてこういったことを言ってくるのは本気で勘弁してほしい。巫山戯ているのは分かっているのだが、度が過ぎているというか何というか。
『俺はいつだって本気だぜ』
とはマグナの弁だが、その言葉自体が意味を成さないものだと思う。
男の自分にそんなことを言って、何のメリットがあるのか。まあ、ただからかって遊びたいだけなのだろう。
なんだか気が抜けてきて、リューグはふっと息を吐きだした。
「で、お前何の用だよ?」
「ああ、うん。あのね、チョコ!」
「・・・チョコ?」
「そうだよ、今日は好きな人にチョコレートを贈る日だろ?」
「だから?」
「だから!」
ちょーだいと、満面の笑みを浮かべながら手を差し出してくる。
・・・ちょっと待て。今の話の流れからこの会話はおかしくねぇか?
「え?何もおかしくないよ?」
「いやだから人の心にツッコみを・・・って、おかしいだろうが!明らかに!!」
「だって、俺はリューグが好きだし、リューグも俺が好きだろ?」
「いや、同意を求められてもすげぇ困るんだけどよ」
「なんで!?」
「何で!?むしろそれは俺の台詞だろうが!!?」
「あははっ、こんなときまで恥ずかしがることないんだぜ?」
「っっ、いっ、いいか「いい加減にしてくれませんか、マグナさん」
色々耐えられなくなったリューグの声を遮るように、ひんやりとした冷気が漂う。
びくりとして視線を後方に転じると、にこにこと笑みを浮かべたロッカの姿があった。うん。何故我が兄君は、あんな不自然な笑顔を浮かべていらっしゃるのでしょうか。
「変態も大概にしてくださいね、本当。それから今すぐ、リューグの前から立ち去って頂けると嬉しいんですが。というか、消えろ」
「ロッカってば、日を追うごとに口が悪くなってるよな」
「だから俺に同意を求めるなよ・・・」
「そうですよ。リューグに馬鹿がうつるじゃないですか」
「え?ロッカの??」
「貴方のですよ!」
滅多に声を荒げることのない兄の怒声が、玄関に響き渡る。いかに冷静沈着な兄と言えども、彼に対しては受け流しスキルが発動できないのも無理はない。どれだけ似ていないのなんだと騒がれようと、やはり双子なのである。
「だいたい、なんでリューグが貴方にチョコをあげないといけないんですか」
「それは俺とリューグが相思相愛だから」
「それは貴方の妄想でしょう!ついに現実との区別がつかなくなったんですね」
「安心してよ。リューグは俺が幸せにするからさ、義兄さん!」
「バカですか!少しは人の話を聞け!!」
「・・・リューグとツッコみの仕方が一緒だ」
「双子ですから」
ロッカは何故か威張ったように胸を張りながら、勝ち誇ったようにマグナを見遣る。
そんなこと自ら主張するまでもない周知の事実なのに、どことなくマグナが悔しそうな顔をしているのは気のせいだろか。本気で意味が分からない。
「いいもん。リューグのチョコは俺のものだし」
「どうしてそうなるんですか!」
「俺が欲しいからに決まってるだろ」
「決まってませんよ!リューグのチョコは僕の物なんですから!」
「はあ!?」
「え?リューグのチョコは僕の物だって産まれたときから決まってるでしょ?」
「決まってねぇよ!」
「そうだよ、俺のに決まってるじゃないか!」
「それも違ぇ!もう何なんだよ、お前ら!!」
馬鹿だ。馬鹿ばっかりだ。
なんだか頭痛がしてきて、眉間をゆるゆると解す。
そうだ。いつまでもこんな場所にいるからいけないんだ。さっさとひとりになれる場所にいこう。最初からそのつもりだったじゃないか。
ふらふらする頭を抱えながら扉に手を掛け、ることは残念ながら出来なかった。
神という奴は、まだこの地獄から解放してくれる気は更々ないらしい。
「何をこんな場所で騒いでいるんだ」
目の前でがらりと開いた扉から現れたのは、あの馬鹿の兄弟子であるとネスティと、何故かにやにや笑いのフォルテだった。
不機嫌そうに顔を顰めたネスティは、一通り3人の顔を見回して重苦しい溜め息を吐きだす。
「マグナ、君にはいつももう少し落ち着けといってあるだろう」
「ちょ!?なんで俺!!?」
「この状況を見て、君だと思わないほうがおかしい」
「さすがネスティさん。どこぞのバカとは違いますね」
「そこ!さり気に人のことバカ扱いするな!」
「だから、そうやってすぐに騒ぐなと言っているんだ!」
「そうですよ、本当にバカですね」
「なっ、なんでいまの流れで俺が怒られるんだよーっ」
五月蝿い。ただでさえ騒がしかったのに、それがさらに倍になるってどういうことだ。
ひとりひとりは静かなのに(馬鹿一名除く)、何故3人集まるとこうもさわしくなるのだろう。こういうのも仲が良いというのだろうか。
軽く逃避に走りかけた思考を現実に引き戻したのは、背中を小突かれた衝撃だった。
「モテる男はツラいなぁ、おい」
「はあ?何をわけわかんねぇこと言ってんだ」
「自覚なし、かよ。こりゃ、あいつらも苦労すんね」
相変わらずにやにや顔のフォルテが、楽しそうにばしばしと肩を叩いてくる。
言われている意味がさっぱりだし、フォルテの楽しそうな理由もわからない。それに何より、
「いてぇよ!無駄な馬鹿力で叩くんじゃねぇ!」
「お、悪い悪い。ついな、というかよ、リューグ」
「あ?んだよ?」
「マグナが騒いでたのってそのチョコが原因だろ?」
「おっ、おお。よく分かったな」
「まあな、だいたいの察しはつくぜ。でだ」
ふんと腕組みしながら、フォルテがきらりと目を輝かせる。明らかに悪巧みを考えている時の、しょうもない顔だ。
騒いでいた彼らも、いつの間にかじっとフォルテのほうに注目していた。
「当然、そのチョコはオレのなんだろう?リューグ」
「なっ・・・」
「何言ってるんだよ、フォルテ!」
「そうですよ、当然ってなんですか!」
「フォルテ・・・まさか、君まで・・・?」
一瞬の静けさのあとの大嵐。
全員が一斉に喋り出したものだから、辺りは一気に騒音で満たされる。
もうツッコむ気力もなくて、リューグは大きく息を吐きだした。
「ここにもバカがいた・・・」
周りの人間がこんな奴らばかりだと、自分の常識が間違っているような気がしてくるから不思議だ。
もしかしたら男にチョコをあげることなど、普通のことなのだろうか。それよりも、むしろあげないほうが可笑しいことだったりするのか?
そんなはずはないと思いつつも、うまく思考がまとまってくれない。
ぼやける頭で、取り合えずはと彼らの会話に耳を傾けた。
「別にオレがもらったって何の問題もないだろ?」
「あるよ!リューグのチョコは俺のだって何度も言ってるじゃないか!」
「そんなのは貴方が勝手に言っているだけでしょう」
「そうだ。だいたい、そんなチョコのひとつやふたつで騒ぐな、みっともない」
「なんだよ、そんな強がっちゃって」
「僕が、何を強がっていると言うんだ」
むっと眉根を寄せたネスティに、マグナがにんまりと笑う。
こういうときのマグナはいつにもまして余計なことしか言わないと経験上分かってはいたが、分かっているだけで対処のしようがないのがネスティの頭痛の種だった。
なんとなく次の言葉が予想できるだけに、ゆっくりと呼吸を落ちつけてぐっと拳を握りしめる。
動揺しない、焦らない。何を言われようが問題な、
「ネスティだって、リューグからのチョコが欲しいくせに」
「なっ・・・・・・!!?」
絶句。
あれだけした心構えは、何もかも無理無駄無意味だった。
言葉が出ない。否、何か言わなければと慌てて口を開く。
「きっ、君はバカか!」
「うーん、その台詞今日で3度目だから新鮮味がないなぁ」
「何を訳の分からないことを!僕がチョコなど欲しがるわけがあるか!」
「じゃあなんでそんな動揺してるんだよ」
「していない!!」
「・・・おもいっきりしてますよね」
「まあ、ネスティだしな。面白いからいいだろ」
呆れたように肩を竦めるロッカと、からからと楽しそうに笑うフォルテの存在などまったく視界に入らない。この時のネスティには、この馬鹿を黙らせる方法以外に興味はなかった。
「だいたい、僕がそんなものを欲しがる道理がない!」
「道理?それならネスもリューグがす「バカか!!?本気で君はバカか!?」
「なんだよもう、急に大声出さないでよ」
「うるさい!」
「・・・いちばんうるさいのはネスだろ」
不満げに呟いたマグナの言葉は、彼にしたらとても珍しい非の打ちどころのないほどの正論だったわけだが、残念ながらネスティには届かない。
ロッカとフォルテは「あの師弟って時々立場が逆転しますよね」「見てるぶんには楽しいだろ?」「確かに」などと完全に他人事として傍観モードを決め込んでいた。
基本的にロッカはリューグに害が及ばない限りはどうでもいいし、フォルテとしては面白ければ何でもいいのである。
「それにだ!今日は、女性が男性にチョコを贈る日であって、」
「えー?ネスってば古いなぁ、いまは女の子どうしーとか流行ってるんだぜ?」
「それが何だ!僕は男だし、それにリューグだって」
「そうだよなっ!」
突如として響き渡った大声に、言い争っていた2人は驚いてぽかんとする。
傍観していたロッカとフォルテも、声の主へと視線を転じた。
4人の視線を一身に受けたリューグは、しかし何故か晴れやかな笑顔を浮かべていた。
「やっぱり俺は間違ってねぇ。ありがとよ、ネスティ」
「は・・・あ、ああ?」
「あの馬鹿にもよーっく言って聞かせてやってくれ。今日がどういう日か」
「ちょっと、りゅー・・・」
「分かったか、マグナ。お前もいつまでも俺なんかに付きまとってねえで、もっと健全に過ごせ。ネスティを見習ってな、な!」
「あ、いや、あの、僕は、」
「俺のチョコが欲しいとか、ネスティがそんなことあるわけねぇだろうが。そんなもんやったって、気味悪がられるのがオチだぜ」
彼らの会話で色々吹っ切れたリューグは、上機嫌ににこりと笑った。
同意を求められたネスティがなんだか傷ついたような顔をしていた気がするが、そんなものは気のせいだろう。でなければ、目の錯覚だ。
これでやっと、当初の目的であるひとりになることができる。あとはこの常識人の彼に任せておけば何も問題はない。
「んじゃ、俺はちょっと出かけてくるぜ。あとは頼んだ、ネスティ」
実に清々しい笑顔でネスティに笑いかけたリューグは、足取りも軽く扉の外へと消えていった。
後に残されたのは、憐れ哀れな男がひとり。
「う、わー・・・」
「ばっさり切られましたね」
「おーい、ネスティ。生きてるかぁ?」
「駄目なんじゃないですか、もう」
「ロッカ、ネスにも酷いんだな・・・」
「そんなことないですよ。僕としては結果的に誰にもチョコが渡らなかったので、嬉しいかぎりです。だからネスティさんにも感謝してますよ」
「感謝してる奴の台詞がアレかよ・・・」
さすがのフォルテも顔を引き攣らせるが、ロッカは何処吹く風で爽やかに微笑む。誰が見ても好青年なその姿に、こいつはホントに弟のこと以外はどうでもいいんだなぁと今更ながらに実感したフォルテであった。
一方マグナは灰と化したネスティを見遣って、しみじみと呟く。
「ネスってさぁ、本当に損な性格してるよな」
お前が原因だろうとは思ってもあえて何も言わず、2人は音もなくうんうんと頷き合う。
マグナは俺の兄弟子ながら馬鹿だなぁと失礼すぎることを考えながら、ネスティの意識を覚醒させるべく一発をお見舞いするのであった。
後半戦へ行ってみる。